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History 1

 

① 2007年、いろいろなことが同時に起こっていた

 

佐々木:みなさんがいつどこで出会ったのか教えていただけますか?

高橋:小野さんが初めて旭川に来たのは2007年だよね。

小野:クラフトバイヤーの日野明子さん(スタジオ木瓜)がきっかけです。日野さんが「旭川クラフト改造計画」に関わっていて、2005年くらいから旭川に通っていらっしゃいましたよね。

高橋:当時旭川市工芸センターで働いていた後藤哲憲さんが日野さんの話をしていました。「東京に日野さんというバイヤーがいる、一人問屋と呼ばれているとても怖い方らしい……」と噂を聞かされていたんです。後藤さんが日野さんに会いに東京へ行って、実際に話してみたらまったく怖い方ではなかった(笑)。それがきっかけになって、日野さんに旭川に来ていただいたら、旭川に足りないのはデザインなのではないかと言われました。それならデザイナーを呼んでみよう! という話になり、日野さんがたくさん抱えて持ってきてくれたデザイナーのポートフォリオの中に、小野さんも大治さんも含まれていたんです。旭川クラフト改造計画で招くことができるのはひとりだけで、参加企業20数社による投票の結果、小野さんを呼ぶことになりました。

 

 

佐々木:旭川クラフト改造計画にはどんな企業が参加していたんですか?

高橋:木工、陶芸、ガラスなど様々なジャンルの人たちが参加してましたね。

小野:大治にも来て欲しいという声があったので、ひとり分の予算しかないけど、なんとかふたり呼べないだろうか? という話になって。

高橋:まず小野さんに来ていただいて、大治さんも呼べるように調整しました。

佐々木:その時すでに小野さんと大治さんは「おーちゃん」と「りん」って呼び合う仲でした?

大治:もう繋がってた。

 

 

小野:大治と出会ったのは2006年。

大治:富山プロダクトデザインコンペティションの公開審査会でりんと一緒になってすぐに仲良くなったんだよね。

小野:うん。日野さんに連れられて初めて旭川を訪れたのが2007年8月なんですけど、当時私たち夫婦は山形に住んでいて、夫がD&DEPARTMENTの企画に参加するかもしれないということで、東京に来た時には大治の家に泊めてもらったりしてました。

大治:富山プロダクトデザインコンペティションのあとに、コンペとセットになっているワークショップが開催されて、そこでもまたりんと一緒だったんだよね。その時のワークショップの製品は能作で製品化されているし、僕はそこでFUTAGAMIさんと出会った。2007年には旭川クラフト改造計画で旭川を訪れて高橋さんと出会い、同時並行でFUTAGAMIとの仕事が進んでいたんじゃないかな。「俺、富山行っててこんなことやっているんだ」って、FUTAGAMIの仕事をりんと高橋さんに見てもらった記憶がある。

小野:私は2007年の8月に日野さんと一緒に旭川を訪れて、翌月には夫がD&DEPARTMENTの企画に外部ディレクターとして参加することが決まって、10月から東京で仕事をするというので東京に引っ越して、すぐ11月にはD&DEPARTMENT HOKKAIDO by 3KGのオープニングパーティがあって、札幌で3KGの佐々木信さんたちと出会っているんだよね。

大治:えっ? D&DEPARTMENTの北海道店のオープンの時期も重なってるんだ!

 

 

佐々木:本当にいろいろなことが同時に起こってたんだね。

小野:本当に同時。振り返ると2007年は、本当にいろいろなことが同時に起こっていた。その繋がりの起点は大治だったんだと思う。

大治:3KGが出てきた時なんかすげーの出てきたと思ったよ。

小野:そうそう、面白かった。

大治:札幌の制作会社がなんかdはじめたぞって、ざわざわしてた。

佐々木:D&DEPARTMENT HOKKAIDOのオープニングの時は、僕たちも必死だったし、高橋さんと小野さんは結びついていなかったなぁ……

小野:その時はまだKamiグラス以外の高橋工芸の製品は何もできていなかったからね。2008年の2月にD&DEPARTMENTで第一回のNIPPON VISIONの展示があって、その時に北海道代表として高橋工芸のKamiグラスが選ばれた。

 

 

 

彼らとなら何か一緒に
できるかもって思った

 

佐々木:Kami、Cara、Kakudoが出揃ったのって何年ですか?

小野:Kamiグラスのワイドとかロングは2007年には既にできていて、私たちが関わってKakudoとCaraをお披露目したのが2008年2月の東京ギフトショー。大治が初めて旭川入りしたのが2007年の10月くらいだから、4ヵ月後には新製品を発表していたことになる。その後、大治がKamiマグを作ったのは2009年かな。

高橋:最初につくったのはKakudoシリーズのカッティングボードだね。大治がカッティングボードの模型を抱えて持ってきたところから始まった。

大治:あっ、思い出した! スタイロフォームで模型をつくって持っていった(笑)。

小野:持ってた、持ってた。両手に荷物抱えてた。

高橋:初めて来た時にカッティングボードの試作をある程度つくっていて、「これをつくりたい! つくってください!!」って、ドンって置いて行った感じ(笑)。

大治:ははは!

高橋:カッティングボードだけだと新製品として発表するにはボリュームが足りないから、カッティングボードに合わせて何かつくってねって言ってできたのがKakudoシリーズ。カッティングボード、ベーグル、バターケース、そのあたりから始まっていると思う。小野さんとは先に出会っていたから、電話やメールのやりとりでCaraシリーズのイメージはずっと話していたんだけど、CaraもKakudoも、最終的には4ヵ月前から一気につくり上げた感じ。

 

 

小野:Caraはなかなか形が決まらなくて、実際にできあがったのは発表の直前だったね。

高橋:イメージが固まった瞬間からははやかったんだよね。

佐々木:旭川クラフト改造計画について教えてください。

大治:りんと僕が一緒に旭川に呼ばれて行くと、旭川市工芸センターの後藤さんが1日に5軒くらいの工房を案内してくれるんです。「ここの技術で何ができそうですか?」と聞いてくる。そこで僕らは「うーん……これだー!!」みたいなアイディアを出す。「はい、つぎー!」って次の工房へ移動(笑)。そんな調子で20社くらいまわるっていうのをやっていました。

佐々木:その中のひとつに高橋工芸もあったということ?

大治・小野:そうそう。

佐々木:高橋工芸の他にも旭川でふたりの製品をつくっているメーカーがある?

大治:僕は高橋工芸だけ。

小野:私は3社。高橋工芸の他に丸一直哉さんの有限会社TUC(ティ・ユー・シー)と、山室家具製作所の家具の仕事もしてます。丸一さんは仕事がお忙しくて一度シリーズを廃盤にしたんだけど、2020年から少しずつドリーミィーパーソンさんに復刻していただいてます。

佐々木:大治さんは20軒以上まわってみたけど、手応えがあったのは高橋工芸だけだった?

大治:どうなんだろう。今振り返ると、当時の僕たちはまだ代表作がないし、メーカーとしっかり組んだこともない超ペーペーですよ。でも、りんも僕もとにかくデザインがしたい。だから「どうだ! どうだ!」ってアイディアを出していくんだけど、自分でブランドを作りたいと考えていたメーカーさんはたぶんそんなになかったと思うんですよ。

小野:規模的に作家立ち位置の方が多かったので、販路などのアドバイスは聞きたいけど、デザイナーと一緒に何か開発したいという感じではなかった。

大治:やりたいと強く思ってないし、やれる余力もほとんどない。高橋工芸も同じだったと思うけど、そこは高橋さんの男気で、僕たち二人を囲ってくれたんです。

小野:そうそう、ヤンチャ坊主どもを、こう、両手で抱えちゃった。

大治:「しゃーねーなー」ってことだったと思う(笑)。

 

 

佐々木:高橋さんはどう感じていたんですか?

高橋:小野さんと最初に話した時に、今までのデザイナーさんとはちょっとイメージが違うと思いました。彼女となら何か一緒にできるかもしれないと思って「やってみようかな」と。その後すぐに大治さんが来て「よし! やろう!」ってなった感じ。僕はKamiグラスの、ワイド、ロング、フリーカップをつくったものの、その先どうしていいかわからない時期でした。どうやって市場に流していったらいいか悩んでいた。そんな時に日野さんが来て、小野さんと大治さんが来て、お話を聞いているうちに、この人たちと一緒にやれば何かできる! と確信して、「ぜひやりたい!」と、そんな感じかな。

大治:りんとは旭川を往復する飛行機の中でいつもアイディア出しをしてました。高橋工芸はKamiグラスがあるから、それを軸にしてどう組み立てたらいいだろう? って。僕はカッティングボードを作りながら、どうやって組み合わせたらうまくいんだろうねって話してた。Kamiグラスは飲み物の器だから、食べ物の器(Cara)と、道具としての木のもの(Kakudo)をつくって、様々なセレクトショップに取り扱ってもらいやすい品揃えを考えたんです。

小野:KakudoシリーズはほとんどNCルーターで、Caraはろくろ。高橋工芸は木工ろくろとルーターの技術があって、どちらも活かせるようにしたかった。そういうバランスは大治と飛行機で話して確認を取りながらやっていました。

佐々木:やりたいことと、やれることを大治さんと小野さんでバランスをとりながら。

大治:そうそう。

小野:私がアイディアを考えても、これは大治がデザインした方がバランスがいいと思えば「おーちゃん、これつくってー」みたいな感じで。

大治:「はいよー、じゃあ、俺スケッチ描くわー」みたいにね。逆もあったしね。りんと僕だから成立している稀有な関係なんですよ。普通デザイナーが一緒に考えるなんて考えられないから。

 

 

佐々木:二人が夫婦だと思っていた人もいるんじゃない?

小野:「大治さんの妹さんなんですよね?」って聞かれたことはあります(笑)。

佐々木:おふたりにとって駆け出しの頃に手掛けた高橋工芸の仕事、今振り返ってどうですか?

大治:どうですかねー。高橋さんも言っていた通り、当時はとにかくつくりたい盛りでしたね。突っ走ってた。でも、いいよね。その頃にしかできない熱さがある。今ならきちんと工房を訪れてヒアリングして、状況を聞いて段取りを組むけど、当時は前のめりで突っ込んでいく感じでした。

小野:うん、勢いがあった

佐々木:高橋さんはその気配に気付いていたんですか?

高橋:大治さんはとにかく形にしたくてうずうずしているのが来るたびに伝わってきた。スケッチだけでなく発泡スチロールでちゃんと形を作ってきて「これだから! これを木でやるんだから!」みたいな感じで(笑)。

大治:もー!。今もあんまり変わらないですけどね(笑)。

小野:当時は水戸黄門に例えていたよね。大治は最初から印籠を出しながらいくタイプ。一方私は番組が終わりそうになってもまだ印籠出してない、みたいな(笑)。

大治:ちゃんと印籠もってきてる?? みたいなね(笑)。

 

 

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