History 4
④ 木のイメージを覆したKamiシリーズ
佐々木:最後にKamiシリーズ。やはりKamiシリーズが高橋工芸の変化の起点になっていますか?
大治:起点になっているし、高橋工芸がこれだけは残せないといけないというものはKamiグラスなんじゃないかな。状況や時代によってはKakudoは廃番になっても仕方がないと思うけど、Kamiは廃番にしてはいけないかなぁ。
佐々木:みんな「工業製品的な形状のグラスを木でつくる必要あるのか?」と感じたという話をしていたけど。
大治:Kamiのデザインは面白くて、逆説的なんですよ。木らしくない形をあえてつくるからこそ、木ってこういうことなんだっていうのが逆照射してくる。それが面白さなんだよね、たぶん。今までがんじがらめになっていた「木らしさ」ってことから解放されたっていうかね。その後Kamiグラスを真似たものがたくさんでてきたんだけど、やっぱり高橋さんが思い切ってやり切ったのが起点だよね。木らしさから解放されているということが、Kamiシリーズが木工の歴史に残したことなんじゃないかな。
佐々木:形状的に木らしさを生かしているとはいえないけど。
小野:それが逆によかった。
大治:木の可能性を広げたんだよね。
小野:高橋さんもきっと「そうか、自由につくっていいんだ!」って、開き直れたんじゃないかと思う。
佐々木:高橋さんは最初にKamiグラスをつくるときに「これだ!」って思ったんですか?
高橋:クラフトバイヤーの日野明子(スタジオ木瓜)さんが松屋商事で働いていたときの先輩に佐藤裕見(Craft & Planning)さんという方がいるんです。佐藤さんが「曲げわっぱのように薄い木でグラスがつくれたら面白い」って。最初は0.9ミリの薄さでつくってみてって言われたの。「1ミリを切ったものをろくろで挽けたら、それは誰にもできないから、高橋やれ!」って(笑)。0.9ミリはどう考えても不可能だけど、でもそういうものができたら面白いねって。とりあえずやるだけやってみようと試作を始めたのが2003年。形になるまでには2年くらいかかった。
佐々木:2年! 途中で挫折しててもおかしくなさそう。
高橋:いや、もう全然できなかった。Kamiグラスは、円筒状の木の内側と外側を削ってつくるのですが、内側を安定して綺麗に掘るのがとにかく難しくて……。内側をどうやって抜くかを考えて刃物を選ぶんだけど、少しでも振動するとダメ。削りが荒いところをサンドペーパーで削って調整すると、どうしても厚みが揃わない。刃物屋さんに新しいろくろの刃物を加工してもらい、工房で削ってみるけどダメ。2ヵ月に1度は刃物をつくって、削って、ダメで…… ということを何度も何度も繰り返ししました。
佐々木:くじけそう……。
高橋:もう出来ないかも……もうこれは無理だな……と思った瞬間に「あ! この刃物だったらもしかして……」って、それまでのろくろの刃物のイメージを全部捨てて、機械的に考えてやってみたのが、今の削り方。失敗を繰り返すうちになんかだんだん腹立ってきて、逆に火が付いちゃった(笑)。もう絶対につくってやる! って思って、従来の刃物のイメージを全部リセットして、完全に機械的に考えた。実際に削ってみたら、スーッっと行ってくれて、薄さ0.9ミリを目指しました。1ミリちょっとぐらいまではいけるんですよ、ただフニャフニャで、塗装してもすぐに割れて使い物にならない。少しずつ逆に厚みを足していって、この厚みだったらみんなに使ってもらえるんじゃないかというのが2mm。2年目にようやくできました。
佐々木:ついに完成してお披露目したときの市場の反応は?
高橋:満を持して2005年に発表したけど、「えっ? これ木なの?」で終わっちゃう(笑)。2年間まったくといっていいほど売れずに、2007年にD&DEPARTMENTが企画した「NIPPON VISION」でようやく注目されたという感じです。たしか2005年の東京ビックサイトに持っていって「紙グラス」ってその時は漢字で「紙」って名前をつけたんですよ。紙コップをイメージしていたので、そうすると「これ紙なんだ!」って置いて終わり(笑)。手に取って「木ですよ」と伝えても、「へぇ、木なんだ」で終わり。その当時木でできたカップって、フィンランドのククサと漆のうつわくらいしか存在してなくて、どのショップさんが来ても、木のカップが使えるのかどうかという前例が無いから興味を持ってくれなくて。次の年は興味を持ってもらえるようにいろいろ考えて、やってみけど、やっぱり「ふーん、使えるの? 飲み物を入れて大丈夫なの?」って話をずーっとして……その年もそれで終わり。2005年に売れたKamiグラスの数って50個くらい。次の年が200個程度だった。
佐々木:ではいきなり売れたわけではないんですね。
高橋:ほんとうに売れなくて、売れなくて。だから最初小野さん、大治さんが来たときに最初に言ったのは、デザインをつくることはできるけども、販売までがどうしてもできないから、そこは一緒にやろうっていうこと。要するに今までのデザイナーさんも考えていくだけで、作れるけどその後がどうしていいかわからない。その点はこういうのを作っても、ブランディング 、お店に向かってどういう風に発信していくかっていうのは、大治さん達プロダクトデザイナーなんだけども、そういうところも一緒にやろうっていう、そうしないと今後も僕たちみたいな人がデザイナーと組んでもたぶん同じことが繰り返される。結局、それをやれば、デザイナーと組んで(つくるだけじゃなく)見せ方とか(売りたい)お店を狙って考えられるようになれば、売れる先まで考えてくれると作り手としては組みやすくなる。
佐々木:小野さん大治さんは最初にいい人に出逢ったんですね。
小野:そう思います。
高橋:最初ね、小野さん大治さんと結構いろんな店を見に行ったもんね。
大治:そうそう。その時の経験は今も生きていて、他のメーカーと仕事するときも必ず一緒にお店を見にいくもん。
小野:私も、必ず東京に来てもらってお店を見に行くね。
高橋:この店に入れたいよねー、この店に入れるにはどういう見せ方にしたらいい?ってギフトショーでも、ショップのオーナーさん等が足を止めてくれるような見せ方っていうのは小野さんと大治さんが必死に考えてくれて、そういうのもあって少しずつこうみんなに認知されて、店に置いてもらえるようになったので。
佐々木:大治さんと小野さんが高橋工芸に関わる前にすでにできていたKamiシリーズの存在はやりずらいなーとかなかったんですか?
大治:めちゃめちゃやりずらい(笑)
一同:笑
大治:めちゃくちゃやりずらいですよ。Kamiグラスのイメージがすごく強くて、それと齟齬がないようにどうしたらいんだろうかとか、マグカップのときにも、プレートの時にもKamiグラスと親和性を持ちながら、機能的なことなどの諸条件が折り合うところがどことかを考えながらやったので、気持ち悪くなるほど考えたしデザインしました。僕はKamiマグのデザイン、りんはCaraマグのデザインを同時に進めていたから、お互いデザインを見せあいながらそれぞれのシリーズとして適切か、高橋工芸として適切か、議論しながら進めました。
佐々木:大治さん、小野さんにとってややたんこぶぽかったKamiシリーズを定着させながら、自分たちもデザインしていくという過程だったんだ。
大治:Kamiグラスは売場や催事で見かけていて、そんなに動いている感じはしなかったの(笑)。これどうやって伝えたらいんだろうなぁみたいなことはその背景としてはあったね。美しくて素敵だと思ったけど、お客さんに何が壁になって伝わっていないんだろうと、売場で考えていた。それが背景にあったのかもね。
佐々木:振り返って当時やろうと思っていたことはできた?
大治:実現したと思うし、もう何も言うこともない。(笑)歴史的に見ても高橋工芸のものは残ると思うよ。それはデザイナーの力量とかって全然思わなくて、なんかいろんなタイミングと時代とこの三人が会ったことと、みたいなことが奇跡だと思うね。
佐々木:そうやってCaraとかKakudoとかをやりながら、Kamiもまとめていったという感じですか?
大治:Kamiシリーズはほぼできていた。毎年テーマを決めてマグカップをやり直すかとか、お盆をやり直すか、という時にたまたま僕が担当したので、Kamiを担当したという気持ちはあまりないんだよね。
佐々木:それはあったという感じなんだ。
大治:そう。足りない部分があるけど、りん、どっちがやろうか? 俺やりたい! みたいな。
小野:そういえば、Kamiプレートを大治が試作している頃に、高橋さんのお父さんにようやく認めてもらえたんだよね。(笑)私は別の仕事の試作をしてて、高橋さんの工房には大治一人だけ残って試作をしてたら、高橋さんのお父さんが鮭釣って来てイクラいっぱいとれたからイクラご飯食べなさいって、大治にイクラご飯出してくれて(笑)
大治:笑
小野:「俺お父さんにやっと認めてもらえた」って大治が言っていて(笑)
大治:あははは
小野:夕方私が合流したら「じゃあ晩ご飯にイクラ持って行け」ってタッパーに詰めたイクラを持たせてくれて。(笑)
大治:なんかそれは覚えてる。(笑)
佐々木:お父さん的にはどこでこの子達は違うって思ってくれたんですかね。
高橋:やっぱり、あの、一回ぽっと来て、じゃなく何回も来て、ちゃんと挨拶もきちんとして、でしゃばらない。
一同:笑
高橋:なんていうの、人って一生懸命やっているの、真面目にやっているのって見てるとわかるんじゃないですか?この人たち違う、って。うちの親父も職人さんでああいう性格だけども、見ているうちにこの人たちは悪い人たちじゃないんだ、いい子だって。(この後ききとれない)逆に「最近こないなぁ、何やっているんだ?」みたいな感じで(笑)うちの親父も家族の一員(のように)だと思ってくれているし、母も「東京コロナ増えたからみんな大丈夫なのかな?」って言っているし。
小野:ありがたい話。